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前・日本代表 アイラ・ウルフ氏逝去に関する続報

前・日本代表 アイラ・ウルフ氏逝去に関する続報

前・日本代表 アイラ・ウルフ氏逝去に関する続報

先日ご案内致しました、当協会 前・日本代表アイラ・ウルフ逝去に関する追悼記事が、去る1月20日付ワシントン・ポスト紙に掲載されました。以下に記事(翻訳)をご紹介いたしますので、ご参照くださいませ。(※英語の原文記事はこちら

当記事にございます通り、故人の意向を尊重し、当協会では、日米双方のオフィスにおきましては、葬儀や追悼行事などは行わないことに決定させて頂きました。また記事内で、ご遺族が望まれている通り、弔意を表したいとお考えの方がいらっしゃいましたら、故人の名義により、以下の施設への寄付をご検討頂ければ幸いに存じます。

1) ジョージタウン・ロンバルディ総合がんセンター 
(ご遺族は、本センターへの寄付を望まれています。)
https://lombardi.georgetown.edu/about/support/commemorativegift.html

2)アメリカン・キャンサー・ソサエティ
https://donate.cancer.org/index?campaign=legacy&dn=mem&fn=IRA&ln=WOLF

なお先日のご案内(日本語)で、故人が永眠した日付を「2016年1月16日(米国東部時間)」とお知らせ致しましたが、その後正確には、当記事にございますように、「2016年1月15日(米国東部時間)」であったことが判明致しました。

深くお詫び申し上げますとともに、慎んで訂正させて頂きます。

米国研究製薬工業協会(PhRMA)日本オフィス

【2016年1月20日付ワシントン・ポスト記事】

アイラ・ウルフ(享年70歳)

2016年1月15日、ワシントンDCにて死去。1945年9月4日、ニューヨークのブルックリンに生まれ、ニューヨーク州フリーポートで育つ。両親はカール・ウルフ博士とマーサ・ウルフ。1963年にカルフーン高校、1967年にニューヨーク州立大学ビンガムトン校(旧ハーパー・カレッジ)、1968年にニューヨーク州立大学オールバニ校、1980年にハワイ大学を卒業。兄弟のバリー、妻のジニ―、息子のジェイソンとアダム、4人の孫に加えて数名の甥と姪を後に残しての逝去。妻のジニ―とは1968年の結婚以来、幸せな家庭を築いており、幼い孫たちに恵まれたことは彼にとって限りない喜びでした。

アイラが訪ねた国の数は88で、これを100にまで伸ばすことを視野に入れていましたが、残念ながら、がんにより退職後の旅行プランの短縮を余儀なくされてしまいました。自らの職務のため、そして人々に尽くすという情熱を抱き、最後の最後まで働き続けたアイラ。最後の十年間は米国研究製薬工業協会(PhRMA)の日本代表を務めていました。それ以前は、25年以上にわたり米国通商代表部、モトローラ、コダックなどで日米貿易問題を担当。大学卒業後、外交局での業務に従事して以降は、生涯の半分以上をアジア、主として日本で過ごしています。寿司、相撲、そして古美術品など、日本のあらゆるものを愛していました。

父親、祖父、夫、仕事仲間、先輩、友人、そのいずれとしても、アイラは情熱的で寛大、陽気で愛情あふれる人物でした。自らを奮い立たせて、がんと勇敢に闘った彼の振る舞いは家族や友人にも感銘を与え、最後の最後に病魔の優勢が明白となるまで、気を緩めることはありませんでした。故人が、生前に交流のあった人々の記憶に留められることだけを願っていたため、葬儀や追悼行事などは行わない予定です。遺族は、「彼の名義により、アメリカン・キャンサー・ソサエティ、または、ジョージタウン・ロンバルディ総合がんセンター
へ寄付を行って頂ければ幸甚だ」と述べています。